4月29日活動報告

父 秋山博彦(旧姓 恩地)が、4月28日 午前5時01分 他界致しました。昭和15年5月に戦時中の下関に生まれ、高校卒業後、白バイに憧れ警察官になり、41年間治安を守って来ました。退官後、61歳の時に脳出血を発症し、一度は生死を彷徨いましたが、医師の献身な治療とリハビリ、本人の強い精神力で8割回復し、それからは後遺症と戦いながら、地域の防犯活動、学童誘導•見守り活動を14年続けてきました。父がまだ警察官になったばかりの頃、非番で下宿先から自家用車で外出した時に、日暮れの土砂降りの雨の中、パンク停車している1台の車を見つけ、車中に声をかけたら、運転をしていたお父さんは土砂降りの雨の中、修理工場を探しに行き、それを空腹と寒さに凍えながら、お父さんが戻ってくるのを何時間も待っている家族がいたそうで、父は車幅灯や安全駐車措置をとり、その家族を自分の車に乗せ、知人の家に保護し、暖と食事を与え親身に世話をし、まもなく戻って来たお父さんと保護した家族は無事、家に帰り着く事が出来たそうです。翌日、父はそんな事があった事は一切報告すること無く、普段通り職務にあたっていたそうですが、後日、その家族が、親切なお巡りさんにお礼がしたいと、新聞社と父の勤務する警察署に申し出たそうです。父の「弱い立場の人や、困って助けを求める人がいたら、手を差し伸べる人間になれ」が、私や父の意志を継いで警察官になった弟への教訓でした。そんな父が私達家族の誇りであり、私の政治を志す原点でもありました。家では寡黙な父でしたが、外では社交的で、冗談や人を楽しませるのが好きな明るい父でした昨日、父が亡くなり、ひとり父の事を思い浮かべると涙が止めどなく流れてきましたが「男がくよくよ泣くな」「男は泣きごと言うな」が口癖でもあった父「おいっ、賢治!泣くな!」と、父の声が聞こえて来る気がします。親父、ありがとう!貴方は何時までも私の誇りですお疲れ様でした       秋山賢治